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千葉古街道歴史散歩
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  千葉市の中心部、広小路交差点で房総往還と分かれ国道51号とほぼ同じルートで伸びる佐倉街道。佐倉藩主に任ぜられた土井利勝が江戸から佐倉までの道を往還するようになって「佐倉街道」と呼ばれるようになり、千住より小岩を経て千葉、佐倉に至る参勤交替の道筋として利用され、幕府も五街道に次ぐ重要な脇街道として公認していたといわれている。その当時、この佐倉街道を通行した大名は下総佐倉藩の堀田氏をはじめ房総方面の大名あわせて十数藩に及んだ。

  江戸時代の佐倉街道は、房総最大の城下町佐倉と千葉を結んでいたため、佐倉藩の年貢米は都川河口の寒川港へ運ばれ、五大力船で江戸へと向かった。江戸からの品々は陸揚げされると陸路佐倉を目指す。特に江戸後期になると、藩政改革の一つとして江戸へ送る年貢米を寒川港に絞り、経費削減を図ったため、ますます佐倉街道の重要性が高まったといわれている。佐倉道は年貢米輸送の道だったといっても過言ではないだろう。
また、この街道は前回特集した「成田街道」でもあったように、江戸中期以降、江戸から成田山や千葉寺に参詣する大勢の旅人があったので「成田街道」と呼ばれるようになっていき、佐倉は11万石の房総最大の城下町として栄えた。

=参考文献=
さいとう・はるき著「房総の歴史街道絵本」崙書房
「くわしく知ろう佐倉・酒々井・印旛」まき書房