東海道はその名の通り、海に面した行程が多く、内陸部を通る中山道と好対照をなしている。県内において戸塚・藤沢間と小田原以西を除いた範囲はいずれも東京湾、相模湾といった海沿いの道である。こうした地勢のため、東海道は大小の河口や下流部を横切ることが多かった。このうち大河川については橋を架けずに渡船や徒歩(かち)渡しが主流であったが、中小河川の場合は橋による渡河が一般的であった。
その意味で大小さまざまな橋は東海道の名物であったといえるかもしれない。

東海道分間延絵図に描かれた橋
東海道分間延絵図に描かれた橋



橋の種類
『東海道宿村大概帳』に見られる神奈川県下の東海道の橋は、合計151カ所に及ぶ。

橋の種類は、石橋、板橋、土橋の3種類があり、板橋15カ所、土橋46カ所、残りの90カ所が石橋である。

ちなみに『東海道分間延絵図』においては、こうした橋の種類が描き分けられている(図参照)。



橋の構造
橋の長さは2〜3尺(約60〜90cm)といったごく短いものから、25間(約45m)にも及ぶ長いものまで存在するが、その多くは2間(約3.6m)程度の短いものが大部分である。


また道幅を示す橋の横幅は、いくつかの例外は見られるものの、川崎宿から保土ヶ谷まではほぼ3間となっており、それより以西では2間から2間半の橋が多く、東海道の道幅が全体として1間から3尺ほど狭くなっていることがうかがえる。

また橋によっては「橋杭三本立壱組」と文言が付されているものも見られる。この「橋杭」は橋桁を支える柱のことと思われ、「三本立」とは岸に対してほぼ平行に立つ三本の柱をワンセットとして数えているのであろう。したがって「橋杭三本立壱組」とはそうした三本立のセットが一組存在することになる。

ちなみに初代広重が描いた隷書版東海道の「程ヶ谷」の帷子(かたびら)橋は三本立四組ということになる(もっとも初代広重の行書版「程ヶ谷新町入口」においては、帷子橋は四本立四組として描かれており、『東海道宿村大概帳』においては四本立二組と三本立四組と記されておりこれらの浮世絵とは一致していない)。



程ヶ谷
東海道 五十三次
程ヶ谷
初代広重 隷書版

横浜市歴史博物館蔵



程ヶ谷新町入口
東海道五十三次之内
程ヶ谷新町入口
初代広重 行書版

横浜市歴史博物館蔵