【神奈川県内の一里塚一覧表】
宿 名
NO.
江戸
からの
里数
所 在 地
標 識 樹
川崎宿
1
5
市場村地内
左右共榎
2
6
東子安村地内
左松・右榎
神奈川宿
3
7
神奈川宿地内
左木無・右桜
保土ヶ谷宿
4
8
保土ヶ谷宿地内
左榎
5
9
左平戸村地内
・右品野(濃)村地内
左木無・右榎
戸塚宿
6
10
戸塚宿内
左右共榎
7
11
原宿村地内
左右共松
藤沢宿
8
12
藤沢宿枝郷西村地内
左右共榎
9
13
辻堂村村地内
左榎・右松
10
14
茅ヶ崎村地内
左右共松
11
15
馬入村地内
左右共松
平塚宿




大磯宿
12
16
大磯宿地内
左榎・右栴檀木
13
17
国府本郷村地内
左右共榎
14
18
山西村地内
左榎・右槻・榎
15
19
小八幡村地内
左木無・右松
16
20
山王原村地内

小田原宿
17
21
風祭村地内
左右共榎
18
22
湯本茶屋村地内
左右共榎
19
23
畑宿村地内
左榎・右樅
箱根宿
20
24
箱根宿地内
左右ともまゆみ

一里塚の形状

一里塚は左右一対で存在していると思われがちであるが、じつはそうでもない。保土ヶ谷宿端茶屋町土橋脇(No.4)、小田原宿山王原村地内(No.16)の一里塚については、西に向かい左側1カ所のみの存在が史料から確認することができる。

一里塚の規模は、築造時の史料によれば「一里塚五間(けん)四方也」とあり、幅約9mほどの塚であった。


一里塚と標識樹

一里塚の上には目印の樹木が植えられていた。標識樹に関するいわれは多く、その一つは、織田信長が「松杉はどこにでもあるので、余(よ)の木を植えよ」といったことを、役人が榎(えのき)と間違えたというものである。

神奈川県内の一里塚を見てみると、江戸中期には大部分が榎、わずかに松が混在する程度だが、江戸後期になると、榎のほかに松、まゆみ、槻(つき)、さくら、樅(もみ)、栴檀(せんだん)と、種類が増えている。
もどる