利根川の紹介
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歴史散歩「利根川の碑」
史蹟川俣関所址
説明
日光裏街道
鴻巣から熊谷に出ないで、行田から上新郷を経て利根川を渡り、日光へ行くことができる。この道を日光街道といっていた。
元和3年家康の遺骸は、ここを通って日光へ送られた。その時は八王子から川越に出て忍城にはいり、川俣で利根川に渡った。ここへは慶長年間から明治2年まで250余年間関所があった。
昭和橋から約30メートル上流の上新郷別所地先の堤の中段に、高さ2.4メートルばかりの長方形の関所址の碑がたっている。
江戸より両毛に通ずるこの要地は、忍藩の番士4人の内2人は帰農し、1人は不明だが、もう1人は横浜で医業にたずさわっていた。
関所の所在地は利根改修で廃滅してしまったが、石碑から東北百間を去る堤外地であった。位置
埼玉県羽生市別所
備考
羽生市利根川堤防上