利根川の紹介
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歴史散歩「利根川の碑」
田中霊物
説明
足尾鉱毒問題の義人、田中正造(天保12年-大正2年)の文骨地は、生地の下野国安蘇郡旗川村小中(現・佐野市)にある浄蓮寺、佐野市金井上町の春日岡山惣宗寺、館林市早川田の雲竜寺、渡良瀬川下の北川辺町、藤岡町の田中霊祠の5ヶ所にある。
正造の命日は9月4日。当日供養が行われるのは惣宗寺のみで、田中霊祠が4月4日。浄蓮寺では10月1日。雲竜寺と北川辺町分骨地が月遅れの4日となっている。またこの日には佐野市高山で「田中正造念仏」を唱えているという。
足尾鉱毒事件の解決に政府、議会の無力を知った田中正造が天皇への直訴まで試しみたのは、旧谷中村農民のため絶体絶命の境地だったからだろう。そんな田中正造を神仏と崇めるのは当然だった。
炎天の最中、73歳の正造は幽鬼の如く渡良瀬川をたどって、7月31日に生地の旗川村へ、翌日川俣事件ゆかりの雲竜寺。住職に会えず50メートル程離れた下羽田の庭田家の縁側で昏倒、翌月の9月4日に没した。
9月6日の仮葬は早川田の雲竜寺で行われた。喪主は姉リンさんの長男原田定助氏。会葬者は300名とも400名とも伝え、翌月12日の惣宗寺の本葬には鉱毒被害農民など5万人の農民で佐野の町が溢れたといわれている。また、火葬場に至っても粉砕した分骨は、5ヶ所に決定。大正2年12月14日、古河駅前の田中座で分骨埋葬式が行われた。位置
埼玉県北埼玉郡北川辺町