利根川の紹介
-
歴史散歩「利根川の碑」
利根川旧堰跡の碑
説明
大越の「利根川旧堰跡の碑」
1621(元和7)、徳川幕府は関東代官伊奈半十郎忠治に命じて新川を開削し、これを新川通りと称した。また、寛永から承応年間にかけて数回の大改修を行い、特に新川通りの川幅の大拡張をしたので、除々に利根本流の姿が整っていった。
そこで南に流れていた川筋を廃止して、大越村外野、原道村佐波の間の流路は1838(天保9)に至り締め切られることになった。太田道灌の改良を第一次と仮定すれば、川俣村の締め切りは第二次、新川通りの開削が第三次、外野、佐波間の締め切りは第四次の改良といえる。
このように利根川は南への流路が順次整理されて東へ、東へと誘導されていったのである。これらに費やされた先人の難苦や労力は決して忘れてはならないものであるが、大越村では議会の総意に基づいて時の村長武正美三郎の手によって「利根川旧堰堤跡の碑」が建立された。それは1928(昭和3)年3月のことであった。位置
埼玉県加須市外野利根川堤外