事業紹介
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事業のあらまし
日光砂防の代表砂防施設
日向砂防堰堤(ひなたさぼうえんてい)
稲荷川と大谷川の合流地点から5kmの地点にある日向砂防堰堤は、昭和3年に高さ13.6mの堰堤が完成し、さらに昭和28年に6mの嵩上げ工事を行いました。
昭和41年の台風により山腹崩壊が数多く発生し、大量の土砂が河床に堆積し出水時に流出する危険性が増しました。 このため、より大量の土砂が貯められる大規模な嵩上げ工事が行われ、8年にわたる歳月を費やし昭和57年に完成。この工事によって高さ46mを誇る砂防堰堤に生まれ変わりました
日向砂防堰堤は完成から現在までで、満砂状態に近いほどの土砂が堆積しています。この砂防堰堤がなければ100万m3以上の土砂が下流に流出し、日光市街地に甚大な被害を与えていたと考えられています。稲荷川砂防堰堤群(いなりがわさぼうえんていぐん)
日光東照宮の北を流れる稲荷川は「暴れ川」と呼ばれ、たびたび大規模な土砂災害が発生してきました。このため国の直轄事業として日光市街地や多くの文化財を守るため、大正7年より昭和初期にかけて約20基の砂防堰堤が作られました。
これらの施設は、国土の歴史的景観に寄与していること、工法や形状が他地域に類のないこと、そして技術革新による砂防工法の移行期に建造された堰堤群であり近代砂防の歴史を伝える構造物として、登録有形文化財・土木遺産に登録された希少な砂防堰堤群となりました。
昭和初期までに完成した堰堤群は80年経った現在でも砂防設備としての機能を維持しつつ、文化財としての価値も保てるように配慮しながら補修を行っています。また、道標や説明看板が設置されているので、砂防堰堤を眺めながら渓流沿いをハイキングすることも可能です。大薙山腹工(おおなぎさんぷくこう)
男体山の崩れは、薙刀(なぎなた)で切ったような深い崩れのため「薙」と呼ばれています。
大薙は男体山の東南の斜面にあたり、薙の中では最も大きく、崩壊斜面は頂上付近まで達しています。 この崩壊地は、約300年前の天和3年(1683)の大雨を伴った大地震によって発生したとされています。 現在もなお崩壊を続け、自然復旧の見込みは殆どありません。
大薙山腹工は男体山の崩れにより発生する土石流から日光市街地への被害を防止するため、風景美を維持し、崩壊地を緑豊かな自然に復元した工事です。 昭和25年(1950)から着手し、砂防堰堤工と山腹工により斜面の崩壊拡大を防止しています。大谷川床固群(だいやがわとこがためぐん)
大谷川は、中禅寺湖より流れ出る華厳の滝を源とし、今市扇状地を貫くように流れ、鬼怒川に合流する延長29.5kmの急流河川です。 豪雨時には男体山や女峰山の崩壊地より流れ出てきた土砂が大谷川に堆積して河川の氾濫を恒常的に引き起こしてきました。
土砂の堆積や河岸・河床が削られるのを防ぐための床固工、護岸工等を連続して設置する「床固群」の整備が昭和8年(1933)に国の直轄砂防事業として始まり、約80年間で24kmに渡るの国内屈指の大規模な床固群として整備されました。 床固群の整備により河道が安定し、河川敷の一部は公園として整備されているほか、 魚の移動を阻害しないよう「魚道」を整備し、環境保全にも配慮しています。