海道の保土ヶ谷宿は、保土ヶ谷町・岩間町・神戸(ごうど)町・帷子(かたびら)町の四つの町から構成されていた。複数の町から構成されている宿場の場合は、それらの町が街道に沿って隣接するかたちで町場を形成しているのが普通であるが、保土ヶ谷宿の場合はそれとは異なっている。

 保土ヶ谷宿の町並みを、東から西への順番に見ていくと、宿場の入り口ともいうべき帷子橋より下岩間町・帷子田町・下神戸町・帷子上町・上神戸町・上岩間町・保土ヶ谷町となっている。









東海道五拾三次之内 保土ヶ谷「新町橋」 初代広重 
保永堂版 横浜市歴史博物館蔵


広重が保土ヶ谷宿で描いたのは帷子川と帷子橋(新町橋)。
帷子川が昭和の改修で流れを変えたため、

現在の帷子橋は昔の橋と同じ位置ではない。




奈川宿を西へ向かい、新横浜通りを越えるとかつての芝生(しばう)村に入る。ここには「浅間下(せんげんした)」という信号の名称の由来となっている浅間神社がある。この社には「富士の人穴」と呼ばれる洞窟があり、名所として知られていた。また横浜開港後につくられた横浜道は、ここで東海道から分岐していた。




(注)赤い線が東海道です。赤い点は遺跡・史跡です。厳密には江戸時代のコースと異なる部分があります。





 各節ごとに遺跡・史跡を説明しています。(各節をクリックしてください)

@浅間神社、A追分、B橘樹神社

C金沢横丁道標、D軽部本陣跡、

E境木地蔵、F品濃の一里塚







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