第1節

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 道駅から先は旧生麦(なまむぎ)村となる。現在「生麦魚河岸(なまむぎうおがし)通り」と呼ばれる道が、かつての東海道である。

 当時生麦村の集落は東海道に面して続いており、海側の家の裏手はすぐ海であったが、現在は埋め立てによって海は遠ざかっている。

 また、五丁目周辺には多くの魚屋が軒を連ねており、かつての漁師町の風情を想像させる。

 さらに進み、産業道路を越え、海側にキリンビールの横浜工場を見ながら進むと、第一京浜国道と合流する。この辺りに生麦事件の碑が存在する。



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@生麦魚河岸通り

両側に魚屋が軒を連ね、店先には所狭しと生きのいい魚介類が並べられている。


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A生麦事件の碑


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文久2年(1862)、島津久光の行列の前を、川崎大師へ行く途中のイギリス人商人リチャードソンら4名が馬に乗ったまま横切ろうとしたところ、薩摩藩士に斬りつけられ殺傷事件となった場所。







生麦事件現場の写真



ベアト撮影
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横浜開港資料館蔵








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