第2節

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 中本陣の裏手には浄土宗の一行寺(いちぎょうじ)、その先に曹洞宗宗三寺(そうさんじ)がある。一行寺には天明二年(1782)、新宿に寺子屋「玉淵堂」を創始した能書家浅井忠良の墓がある。

 宗三寺はその開創が中世にまでさかのぼる宿内一の古刹。墓地には飯盛女の系譜をひく貸座敷組合が建てた遊女らの供養塔がある。

 旧宿内をさらに進むと、左手角に近畿日本ツーリスト川崎店があり、この場所が問屋場(といやば)で、隣に助郷会所(すけごうかいしょ)、向かいに高札場(こうさつば)があり、高札場の奥に通称中(なか)の本陣といわれた惣兵衛(そうべえ)本陣があった。宿場の交通機能を司る諸施設が集中する心臓部である。

 川信本店の裏に詩人佐藤惣之助(そうのすけ)の碑があるが、惣之助は旧佐藤本陣の後裔(こうえい)で、本陣の場所は向かい側、日興証券川崎支店の辺りと推定されている。

写真5

D問屋場跡付近の町並み

写真3
B宗三寺にある遊女の供養塔


C近畿日本ツーリストの向かいにある総合案内板写真4

当時の面影はないが、この場所に高札場があった。問屋場、助郷会所、本陣跡どなどの説明がある。





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