利根川の紹介
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歴史散歩「利根川の碑」
雲龍寺内救現堂
説明
足尾鉱毒「被害者救済施療所」
足尾鉱毒被害者救済施療所とは、仏教徒、とくに浄土真宗本願寺派東京別院(築地本願寺)を中心とした青年仏教徒たちが、明治34年(1901)12月28日に、被害の激しい地域に医師と看護婦、薬局員7名を派遣し、巡回して医療活動を行った次の3ヶ所をいう。
1.群馬県邑楽郡海老瀬村(現・板倉町)頼母子の松本英一方。松本宅は、鉱毒闘争の支援者の出入りが激しく、同村松安寺に移動
2.群馬県邑楽郡渡瀬村(現・館林市)早川田の雲龍寺
3.栃木県安蘇郡界村(現・佐野市)馬門の永島礼七方
足尾鉱毒事件は、明治23年(1890)の渡良瀬川洪水で初めて大きな被害が出て以来、拡大していく。これに対して、被害農民は足尾銅山の操業停止を求めて、国や県に陳情し、田中正造は、国会で演説し鉱毒問題に関して政府を追及した。しかし、問題は解決されず、政府は弾圧を強めていった。そして、川俣事件、正造の国会議員辞職と天皇への直訴事件などにより、足尾鉱毒事件は政治・社会問題として世間の注目を集めた。こうした中で、キリスト教徒・社会主義者の被害者救援活動が注目を集めるが、仏教徒も救援活動を行った。位置
群馬県館林市
備考
群馬県邑楽郡渡瀬村早川田 雲龍寺