国土交通省関東地方整備局 利根川上流河川事務所


利根川について > 利根川の歴史 > これまでの利根川の工事

■外国のすぐれた人と技術
明治時代になっても水害を防ぐための利根川の工事が進められました。当時は外国のすぐれた技術を採り入れ、日本人たちの技術者を育てるために外国人が招かれました。外国人により工事の計画が立てられ、また川の工事専用の機械も輸入されました。
明治維新後、富国強兵と殖産興業のもとに、河川や港湾の分野には多くのオランダ人技師(ファン・ドールン、ヨハネス・デレーケ、ムルデル等)が招かれました。
□ファン・ドールン
明治5年(1872)に来日し、利根川巡視、宮城県の野蒜築港、福島県の安積疎水工事など多くの設計、計画に携わりました。
□ヨハネス・デレーケ
明治6年(1873)に来日し、内務本省で各地の事業に関係し、淀川、木曽川、常願寺川、利根運河計画改訂などの調査・計画・工事などに携わりました。
□ムルデル
明治12年(1879)に来日し、利根川・江戸川の改修改良、見沼代用水の改良、利根運河など、各地の調査・計画・工事に携わりました。


■利根川の工事は時代によって変わっています
□明治のはじめ頃
物を運ぶ船が通りやすいように、川幅を広げたり、川底を掘り下げました。
□明治の中頃
たびたび洪水が起こったため、利根川の工事は洪水対策が中心になりました。
□明治29年の洪水後
明治29年の大きな洪水をきっかけとして明治33年(1900年)、約200kmを工事する計画ができました。大きな工事計画なので3回に分けて洪水を防ぐために堤防をつくったり、川を掘ったりする工事が行なわれました。
□明治43年の洪水後
明治43年(1910年)に利根川で明治時代最大の洪水が起こりました。大洪水を教訓にして、洪水を防ぐためさらに大きな堤防づくりが始められました。このときに渡良遊水池をつくる工事が始まりました。
□昭和以降
昭和の時代になってからも利根川は大きな洪水を起こしました。昭和10年(1935年)と昭和13年(1938年)の2度にわたる大洪水は、さらなる洪水対策工事の計画が必要であることを示しました。しかし戦争があったため工事はあまり進みませんでした。
□カスリーン台風後
カスリーン台風の後、蒸気機関車を使って改修工事が行われ、大がかりな機械化が進みました。



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