国土交通省関東地方整備局 利根川上流河川事務所


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■なぜ東に流れを変える必要があったか
古来、利根川は太平洋ではなく、江戸湾(現在の東京湾)に注いでいました。現在のような流路となったのは、数次に渡る瀬替えの結果で、近世初頭から行われた河川改修工事は利根川東遷事業と呼ばれ、徳川家康によって江戸湾から銚子へと流路を替える基礎がつくられました。
東遷事業の目的は、江戸を利根川の水害から守り、新田開発を推進すること、舟運を開いて東北と関東との交通・輸送体系を確立することなどに加えて、東北の雄、伊達政宗に対する防備の意味もあったといわれています。


■最初に命令をだしたのは徳川家康
利根川の東遷は、江戸時代の最初の将軍(徳川家康)の命令で行われました。水害を防いだり、新しく農地をつくったり、船で物を運びやすくすることなどが目的でした。そのため、流れを変えるだけでなく、堤防もつくったり、農業用の用水路をつくるなどの工事も行なわれました。
東遷の工事は、当時栗橋付近から江戸湾に流れていた利根川の流れを東に移し、台地を切り通して赤堀川としたほか、常陸川と多くの湖沼を結びつけて銚子に流すものでした。
天正18年(1590)に江戸に入った徳川家康は、関東郡代に伊奈備前守忠次を任命、利根川東遷事業を行わせました。事業は文禄3年(1594)から60年の歳月をかけて、忠次から忠政、忠治と受け継がれ、承応3年(1654)に完了。これによって、わが国最大の流域面積を誇る河川が誕生したのです。


■東遷(とうせん)の過程
いまの利根川の流れは、人の手により東へ流れを変えてできたものです。江戸時代に少しずつ東へと流れを移し変える大工事が、約60年間にわたって行われました。これを東遷(とうせん・東へ移すこと)と言います。それまで東京湾に向かって流れていましたが、人々の努力によって現在のように千葉県銚子市で太平洋に注ぐようになりました。



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