
江戸末期の天保年(1835〜)上州には江戸の方から、新町・倉賀野・高崎・板鼻・安中・松井田・坂本の七宿がありました。上州に入ると、最初の宿が新町宿。江戸から十一番目の宿駅で、烏川と神流川の合流地点の近くに位置しています。
そこから一里半(約5.9km)ほどで、中山道の宿場と利根川の河岸を持つ町として栄えた倉賀野宿。続いて城下町でもある繁華な宿場町の高崎宿へ。西に碓氷川の渡しを控える板鼻宿は、高崎から一里余り。
板鼻宿を後にして、三十町(約3km)ほど歩くと三万石の城下町、安中の宿。続けて二里(約8km)で、松井田宿へ。ここは、信州諸侯の廻米や払い米の売買で賑わった宿駅です。最後の坂本宿は、碓氷関所と碓氷峠の間に位置する山間の宿場町。
ここを過ぎると、いよいよ信濃路の旅がはじまります。すべての移動を自らの足に頼ったこの時代の、旅人の困難辛苦は想像以上のものでした。
昭和の初め群馬でも、「伊香保軌道線」という路面電車が走っていました。渋川を中心に高崎・前橋の乗客や、伊香保温泉へ向かう観光客の足として利用されていましたが、昭和31年廃線となりました。多くの人に親しまれた路面電車も昭和30年代日本が高度成長期に入るとともにモータリゼーション化が進み、姿を消したのです。路面電車からバスヘ、そしてマイカーへ。道路整備の必要性が叫ばれるようになりました。群馬でも昭和34年、長年の悲願だった三国峠越えの国道17号三国トンネルが開通。こうして、道路の拡張やバイパス建設が加速していきました。