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日光の災害史(江戸〜明治)

江戸時代の大惨事

稲荷川水難供養塔

寛文2年(1662 年)・旧暦6 月13〜14 日(現在の7 月29〜30 日)。上流で発生した土砂災害が、下流域で大規模な被害をもたらしました。大雨が降り、明け方3 時〜5 時にかけて、大谷川と稲荷川が大洪水が発生。赤薙山からは巨礫が流れ出し、300 軒余の人家を押し流し、死者300 人余(「日光山満願寺成就院堂建立記」)とも、140 人余ともいわれる大惨事になりました。


稲荷川水難供養塔

寛文2 年の大洪水の犠牲者供養のために、翌年の寛文3 年に、二基の笠塔婆が建立されました。塔の左側面には水難者の方々と思われるお名前が彫られています。右側の残り一基は、旧縁の方々が昭和6 年にご供養のために建立したものです。
稲荷川水難供養塔(竜蔵寺墓地/日光市指定文化財)


明治時代の大惨事

明治35 年(1902 年)9 月28 日。足尾台風が栃木県全県に被害をもたらしました。大谷川では水源部で崩壊が多発し、神橋、大谷橋、人家100余戸を流出。死者156、行方不明63、負傷280、家屋全壊8217、半壊389 に至りました。

洪水の前
神橋(洪水の前)
日光市七里の目黒屋付近(洪水の前)
滝尾神社の社殿(洪水の前)
洪水の後
 
明治35年(1902年)の洪水で流された神橋

明治35年(1902年)の洪水で流された神橋
日光市七里の目黒屋付近

日光市七里の目黒屋付近
 
滝尾神社の社殿

明治35年(1902年)の洪水で、白糸の滝まで流された滝尾神社の社殿


失われた文化財

明治35 年の大洪水では、多くの貴重な文化財が 流出しました。芭蕉や明治天皇が立ち寄った風景 明媚な『大日堂』、化け地蔵と呼ばれ、名所・含満ヶ 淵の象徴ともなっている『並び地蔵』もそのうち のひとつです。日光砂防事務所では、砂防事業の 一環として、現在『大日堂』お よびその周辺の整備計画が 立案され、失われた文化財の 復興活動も支援しています。
大日堂パース
 

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