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相模川

相模川の歴史

相模川は正式名称を「相模川(桂川を含む)」とされており、山梨県内では現在でも「桂川」という呼称がとられています。相模川は現在、神奈川県の中央部を貫くように流下し相模湾に注いでいますが、かつては相模原台地をさらに東に向かって流れ、多摩川に合流していたと考えられています。


桂川と相模川
 相模川は一般に呼び習わされているこの名称のほかに「桂川」という名称を持っています。この2つの名称は「相模川(桂川を含む)」として、昭和44年に一級河川に指定された時に正式名称として登録されました。これは、相模川が山梨県内の区間においては桂川と呼ばれ、この名称が古くから親しまれており、この名を残したいという希望が強くあったためです。現在でも相模川の山梨県内の区間は「桂川」という呼称がとられています。

山中湖から富士山を望む

山中湖から富士山を望む
 山中湖を発した水は、途中天然記念物として有名な忍野八海などの水をあわせ山梨県・神奈川県内を流下しますが、かつて相模川は相模原台地の北西端において南に進路を変えず、さらに東に向かって流れて、現在の多摩市や稲城市を横切るように流れ多摩川に合流していたと考えられています。

 その後数十万年を経て、相模川は現在のような流路となるのですが、相模川の流路の変遷を物語る「旧相模川橋脚」が現在の相模川からおよそ1.2km離れた茅ヶ崎市にあります。この橋脚は鎌倉時代の武将源頼朝の家臣、稲毛重成が亡き妻の供養のために1198年に架けたものだとされています。

天然記念物 忍野八海の透き通った水 今も残る旧相模川橋脚の周辺
天然記念物 忍野八海の透き通った水 今も残る旧相模川橋脚の周辺
 ちなみに相模川の河口付近は「馬入川」とも呼ばれていますが、この名称の由来はこの橋の供養に訪れた頼朝の馬が突然相模川に暴れ入り、頼朝が落馬したという伝説から名付けられたともいわれています。


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