年代 |
鶴見川の歴史 |
江戸時代(1603~1868年) |
1611 |
慶長16 |
江戸を中心とした街道の整備。(東海道が河口付近を横切る)二ヶ領用水開削完成。(矢上川流域などにも灌漑) |
1624~1644 |
寛永1~寛永21 |
椰子ヶ谷村に灌漑用の溜池整備(後の二ッ池) |
1638 |
寛永15 |
江戸水源調査 |
1662 |
寛文2 |
太尾村堤防築造 |
1666 |
寛文6 |
大曽根村、樽村、中駒岡村に水除囲堤築造 |
1668 |
寛文8 |
幕府の命で悪水吐圦樋を設置 |
1678 |
延宝6 |
堰水使用をめぐる村同士での争いが多く、この頃より堰の番水制が多く用いられるようになる |
1705 |
宝永2 |
佐江戸橋から生麦まで4里余(約16km)にわたり付州浚いとともに両岸切り広げを実施 |
1716 |
正徳6 |
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この頃より、沿岸の村々で大規模治水工事が始められる |
1730 |
享保15 |
国役普請で大規模な鶴見川両岸の切り広げ、瀬替え工事を行う |
1781 |
安永10
天明1 |
鶴見川改修工事実施(幕府が湾曲部で砂州除去、堤防決壊部で杭打ちを実施) |
1786 |
天明6 |
7.13 江戸大水で鶴見橋流失 |
1790 |
寛政2 |
8.19~20 大風雨により、生麦で海水が東海道へ上がる |
1805 |
文化2 |
鶴見川浚の準備金として永久定浚準備金を設ける。川通31か村高割で出金、利倍御貸付金郡代官所へ上納 |
1822 |
文政5 |
幾度の幕府直営改修工事の出願が認められないため村々の費用で工事を行うこととし、幕府に工事費借用を願い出、改修工事を行う |
1859 |
安政6 |
横浜開港 |
1862 |
文久2 |
生麦事件 |