先土器時代 |
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流域に小集団が移動生活(関東ローム層からの遺跡、大熊川上流域のけんか山遺跡など) |
縄文時代(B.C.10000~B.C.300年頃) |
早期 |
流域に小集団が移動生活(大熊川花見山遺跡など) |
前期 |
竪穴式住居が増え、集落を形成(定住の方向へ)。貝塚も多く発見 |
縄文海進が進み、鶴見川流域の海面は3m前後高かった(ピーク時)と推測される |
中期 |
大規模な集落遺跡が発見される(三の丸遺跡)など、縄文の最盛期 |
後期 |
海岸線は現在の辺りまで下がる。気候は冷涼、多雨に向かったと推測され、富士山の火山活動での降灰による環境悪化も伴ってか、遺跡も減少 |
弥生時代(B.C.300~A.D.300年頃) |
中期 |
水田稲作を基盤に農耕文化が成立(早淵川中流大塚遺跡など) |
古墳時代(300~592年頃) |
前期 |
古墳が出現 |
後期 |
横穴式石室、横穴墓が現れる(市ヶ尾横穴墓群など) |
飛鳥時代(592~710年) |
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集落が激増。 |
686 |
朱鳥1 |
「武蔵国」の名がつき、21郡を含める。鶴見川流域はそのうち、多摩(多麻、多磨とも)、都筑(つづき)、橘(たちばな)、久良(くらき。久良岐とも)の4郡に相当すると推定される |
奈良時代(710~794年) |
771 |
宝亀2 |
都と、各地を結ぶ道路の整備がすすみ、武蔵国の行政区分が、官道七道のうち東山道から東海道の所属に変わる |
平安時代(794~1192年) |
820 |
弘仁11 |
相模・武蔵・下総など関東諸国に地震あり、被害甚大 |
878 |
元慶2 |
9.29 関東に大地震あり、相模・武蔵の被害が特に甚しい |
939 |
天慶2 |
平将門の乱、武蔵国も一時支配下に |
後期 |
在地領主による開拓が盛んになり、力を蓄え武士団を構成(秩父一族、武蔵七党) |
鎌倉時代(1192~1333年) |
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北条氏が武蔵国の耕地開発に力を入れる(鳥山開発、武蔵野水田開発など。1230~) |
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鎌倉と地方を結ぶ鎌倉道に相当する道が鶴見川流域を6本横切る形で通った |
1333 |
元弘3 |
鶴見合戦(新田義貞が北条一族を破った戦いの一つ) |
室町時代(1333~1573年) |
1335 |
建武2 |
中先代の乱(井の沢鶴見付近で合戦) |
安土・桃山時代(1573~1603年) |
1524 |
大永4 |
後北条氏(小田原北条氏ともいう。北条氏とは無縁)が南武蔵と相模を支配するようになる。(~1590)
小机城改修 |
1588 |
天正16 |
1590 |
天正18 |
小田原城陥落、北条氏の支配終わる。豊臣秀吉による農兵分離政策 |
1592 |
文禄1 |
小机堰築造(~1595) |