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| ■それは穴だらけの「道」から始まった |
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| 昭和の中ごろまでは、県内でもこんな道がたくさんあった(1970年) |
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左の写真は、いまから3、40年前の道路のようすです。信じられますか?
昭和の中ごろまでは舗装(ほそう)されていない道も多く、車がはねた石ころで家の窓ガラスが割れたり、天気が良いとほこりがひどく、
雨が降れば車がはねた泥水を浴びせかけられることもよくありました。
舗装が傷んで穴だらけになっている道路も決して珍しくなく、ぬかるみや穴に車輪がはまって立ち往生する車もあったのです。
今から、たった数十年前の道がどんな道だったのか、そしてこれからの道がどうなるのか、私たちが毎日なにげなく通り過ぎ、
空気や水のように当たり前のように感じている道路の昔と現在、そして未来を、ご一緒に考えましょう!
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| ●50年前・終戦後の日本 |
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今から約50年前、第二次世界大戦が終わって間がないころの日本は、戦争の被害と経済の混乱から国民は苦しい生活を送っていましたが、立ち直って再出発しようと奮起していました。
そして経済を立て直すためには、道路を整備して食料や物資を輸送しやすくする必要がありました。1950(昭和25)年の神奈川県内の道路の長さは、国道が合わせて189キロメートル(舗装率76%)しかなく、
県道にいたっては1375キロメートル(舗装率16%)に過ぎませんでした。
終戦から50年代までの道路整備は、財源不足により道路の舗装などが中心でした。
「バスがすれちがえる道路」「ほこりや、ぬかるみのない道路」というのが目標だったのです。
1956年(昭和31)年、米国から高速道路の建設に関する調査に来たワトキンス調査団は、その報告書で「日本の道路は信じられないほど悪い。
工業国にして、これほど完全に道路網を無視してきた国は、日本のほかにない」と酷評していました。
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| ●高度成長、渋滞に拍車 |
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国民の努力によって経済が回復し、高度成長期に入ると、もっと効率的な人や貨物の輸送を目指して道路整備が進められました。
日本初の高速道路(名神高速、栗東〜尼崎間)が建設され、首都高速も一部(京橋〜芝浦間)開通します。
その後も本州と九州、四国、北海道が海底トンネルや橋で結ばれ、自動車専用道路が東西南北に延びていきました。
日本の経済成長と国民生活を縁の下で支えてきたのが道路だったのです。
また、70年代になるとマイカー時代が到来。自動車台数の増加とともに、交通事故が増加、渋滞や大気汚染が深刻化していきました。
当時の県内の自動車所有台数は現在の約5分の1、84万台(1970年)にすぎなかったにもかかわらず、道路整備が遅れていた県内は狭い道が多く、各地で交通渋滞を引き起こしていました。
こうした交通問題に対して国や自治体は、道路整備計画に基づき道路の幅を広げたり、新しい道づくりを進めましたが、自動車の増える勢いには追いつけず、現在にいたるまで交通渋滞は慢性化してしまっています。
現在、県内の道路は、国道が50年前の4倍の775キロメートル(舗装率100%)、主要地方道および県道は1426キロメートル(舗装率94%)に達しましたが、その一方で神奈川県の人口は50年前の3.6倍、853万人となり、さらに、現在県内で保有されている自動車台数は386万台、50年前のおよそ210倍にもなっています。
生活や産業に必要な物資の輸送量は大幅に増え、道路整備は着実に進んでいるものの、予想を上回る「車社会」の進展になかなか追いつかないのが現状です。
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