川崎国道事務所・環境と人にやさしい「道」づくり
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もっと「道」を知ろう! 「昔の道」・「未来の道」
神奈川県の「道」・50年そして未来へ!東海道の歴史|▼大山街道をご存知ですか?
もっと「道」を知ろう! 「昔の道」「未来の道」 〜そして未来へ!〜
■大山街道とは
大山街道ルート大山街道とは、現在国道246号として使われており、大山と、現在の赤坂付近(江戸)を結ぶ街道として、昔から多くの人に使われてきた街道です。 大山は昔から、雨を降らせる雨乞いの神様の山として知られており、今でも「大山参り」をする人たちでにぎわっています。 歴史ある大山街道とは、どのような「道」だったのでしょうか?
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■大山街道見どころマップ
大山街道見どころマップ左のバナーをクリックすると、大山街道に点在する見どころや、周辺情報などが記載された「大山街道見どころマップ」をご覧になれます。
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■大山街道の歴史
江戸時代の人々は、大山街道をどのように利用していたのでしょう?また、東海道のような大きな道とどこが違(ちが)うのでしょうか?法政大学(ほうせいだいがく)の村上直(むらかみただし)先生に大山街道の歴史についてお話を伺いました。
【大山みちウォーク&トーク】
●東海道など大きな街道との違いはなんでしょうか?
東海道は江戸幕府が管理して整備した道です。地方の大名(だいみょう)が江戸に行くために使ったり、飛脚が往来していました。これに対して、大山街道は脇街道と呼ばれる道で、東海道の輸送を補う役割を持っていました。脇街道は庶民の道なんです。大山へのお参りや庶民の生活に必要な物を運ぶために使われていました。東海道のように道幅は広くなく旅人が足を休める宿の数も多くはありませんでした。
●どんなものが運ばれていたのですか?
静岡県のワサビ、シイタケ、干し魚、お茶やま綿をはじめ、厚木の鮎、秦野のたばこや溝口の炭などさまざまなものが江戸へ運ばれていました。
●なぜ大山街道がお参りの道になったのですか?
大山参りは本来は東海道を中心に幾通りもの道があったんです。ところが東海道などはにぎやかなところが多くて、飲んだり食べたりして、お参りのお金を使い果たして途中で帰ってくることもありました。だから大山街道が使われるようになったのです。大山街道にはお金を使って遊ぶようなところはなかったので、信仰の道としても最適だったのです。
●いつごろから発達したのですか?
 江戸時代の後期になると庶民の生活が豊かになってきて、活発に人々が行動するようになりました。大山参りも享保(1716-1736年)のころから盛んになりました。庶民の動きが活発になるにつれ、大山街道もたくさんの人々に利用されるようになりました。江戸時代の終わりになると、外国から黒船が来て、海に近い道は危険だといって、大山街道を幕府の本街道にしようという案もあったのですよ。
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■落語「大山詣(おおやままいり)」で江戸庶民の生活を知る
落語「大山詣り」は、江戸時代の庶民のお参りの様子が生き生きと描かれています。

  けんかっ早い江戸っ子「ホラ熊」こと熊さん、大山参りが終わって江戸へ入る前の夜、お酒を飲んで宿であばれて、一緒にお参りに行った町の仲間たちに迷惑をかけてしまいます。
寝ている間に丸刈(が)りにされた熊さんは、その仕返しに一足先に江戸へ帰り、大ボラ(うそ)をついて、帰ってきた仲間たちをびっくりさせるいたずらをします。さてそのいたずらとは・・・。

落語のCDは、借りたり、聴(き)くことができる図書館もあるので、一度聴いてみてください。
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