川崎国道事務所・環境と人にやさしい「道」づくり
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鶴間から厚木まで 大山街道 見どころマップ
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赤坂〜三軒茶屋 1A 1B 二子玉川〜荏田 3A 3B 長津田〜鶴間 5A 5B 厚木〜愛甲 7A 7B
三軒茶屋〜二子玉川 2A 2B 荏田〜長津田 4A 4B 鶴間〜厚木 6A 6B 愛甲〜大山 8A 8B
※地図上のポイント・宿名・イベント名等をクリックすると解説をご覧になれます
鶴間から厚木まで
 下鶴間宿を出て、平坦な相模原台地を横切る大山街道は、めずらしく7キロほどの直線コース。昔は昼なお暗い雑木林の中を通る、人家もまばらな道でした。今では商家や住宅街が建ち並び、さみしい面影はありませんが、古道を伝える道標や庚申塔が幾つかみられ、「桜並木」には、戦後の歴史も刻まれています。
 海老名市の誇る相模国分寺跡や国分尼寺跡などの国指定史跡は、大山街道沿いの旧「国分宿」の近くにあって、温故館や広い公園もあり、年間を通して、多くの見学者が訪れます。また4〜5世紀頃に造られた前方後円型の瓢箪(山)古墳。少し足を伸ばせば、数個の古墳が集まり、全体が緑に覆われた秋葉山古墳群。さらに、全長6キロの人口の運河「史跡逆川」は、記念碑や船着場跡もあって、周囲の地形から往時を偲ぶことができます。
 海老名駅周辺は、かつて「一望三千石」といわれた、豊かな水田地帯でして、大宝律令により作られた「古代条里制」の基準線の一つが、大山街道になっています。相模川河畔・河原口には、何軒かの船宿があり、「厚木の渡し」として栄えました。


国分宿
写真 江戸から十四里、鶴間へ二里厚木へ一里の国分宿は、かつては村役場、登記所、駐在所などの公共施設があり、海老名村の中心地として賑わった。料亭や旅籠が軒を連ね(別図)、多くの店舗があって近隣の村々までを商圏として栄えた。
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ビナウォーク
写真
海老名駅東口正面にあり、海老名中央公園を囲むように広がる商店街。2階を巡るランブリングテラスは、公園のほか、駅前自由通路とも接続し、駅からのアクセスも極めて良好である。平成13年4月にオープン。大型百貨店、約130の専門店のほか、複合映画館(シネマコンプレックス)もあって、広い年齢層の人気を集めている。公園の一角には相模国分寺にあったとされる「七重の塔」のモニュメントがあり、歴史と文化の息づく街のシンボル。1日平均6〜7万人が訪れるにぎわいの場である。
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えびなふるさとまつり
写真
毎年7月の第4日曜日に市役所周辺で開催される。市民がふれあい、協力しあうことで、相互の和を図り、「ふるさと」を実感してもらい、郷土愛を育むことが目的。出し物は、流し踊り、はやし、みこし、新鮮野菜の販売コーナーや模擬店など。また、姉妹都市白石市の協力による、こけしの絵付け体験コーナーなど多彩。夕方のみこしパレードでは、会場が大いに盛り上がる。夜、1000発以上の打ち上げ花火がフィナーレを飾る。毎年12万人の人手のある海老名の夏の風物詩である。
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4.古東海道の坂道
この道を南に直進すると稲荷台、更に1kmほど先に昼なお暗い古東海道とされる坂道。その先にはお銀の家跡(JAさがみ早園支店)やお銀の墓も近くにある。
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5.望地と南坂
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6.石橋供養塔
写真 それまで木橋であったものが、宝暦7年(1757)の頃、大山道唯一の石橋に作り替えられたがその募金活動を勧めた地元の篤志家・重田七三郎を記念する石橋供養塔の碑。
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7.目久尻川
座間市栗原を水源とし、寒川で相模川に注ぐ全長約20kmの川。以前は所どころに堰を設け、堤防一杯まで満々と水を蓄え、周囲の水田をうるおし、この附近までに10数個の水車がみられ、米麦加工の大切な動力源でもあった。
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8.史跡逆川碑
写真 この碑より2kmほど上流の目久尻川から人口の堀を作り、ここから北西に流れを変えた用水堀で、海老名耕地の灌漑用水や運搬用に利用した全長数キロの水路、逆川と呼ばれた。相模国分寺建立の部材や年貢米などを運搬した運河ともいわれている。
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9.国分の辻と高札場跡
写真 大山街道と藤沢街道(鎌倉街道)との交差点で、国分宿の中心地。現在の消防器具置き場が、江戸時代までは高札場で、数枚の高札が幕府の上意下達の掲示板として厳めしく建てられていた。
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10.温故館
写真 大正7年(1918)村役場として建築されたモダンな「郡役所様式」の建物で、昭和57年より相模国分寺などの海老名市郷土資料館となる。「神奈川の建造物100選」の一つに指定。
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11.史跡相模国分寺跡
写真 相模国分寺は、相模国分尼寺とともに天平13年(741)の聖武天皇の詔勅により建てられた寺。東西160m、南北123mの回廊に囲まれて、東側には金堂、西側に高さ約65mの七重の塔という法隆寺式の建物配置で、全国の国分寺の中でも、最大の規模である。二つの寺跡はともに国指定の史跡で、写真は国分寺の模型である。
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12.逆川船着場跡
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13.史跡相模国分尼寺跡
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14.国分寺薬師堂(国分寺)
写真 相模国分寺が建立されたのち、その薬師堂として背後の高台に建築されたが、その後現在地に建て替えられた。境内の銅鐘(国重文)と「尼の泣き水坐像」は必見。
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15.大欅
周囲7.5m、高さ20m、推定樹齢560年。この辺りが海だった頃、漁師が舟をつなぐため打ち込んだ、ケヤキの逆さ杭が根付いたとの伝説がある。昭和29年(1954)間の天然記念物に指定。
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16.古代条里制跡と一大縄
写真 大化の改新の律令によって、全国の多くの水田は東西南北の6町(約650m)間隔の平行線によって区画され、方形の水田に整地されて、農民に貸し与えられた。これが「条里制」と呼ばれる耕地制度で、この附近の海老名耕地の大半もこの法令によって整理され、その東西の基準線が「一大縄」と呼ばれ、大山街道の起源となった。
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17.七曲がり
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18.鎌倉時代の武将海老名氏霊堂
写真 平安末期から室町時代に活躍した武将・海老名氏一族を祀る。一族は相模武士団の武将として、源平合戦にも参戦するなど、中世の海老名の歴史を彩った。
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19.伊能忠敬測量隊の渡河地
厚木の渡船場より200m上流で川を渡り、宗桂寺、宝樹寺(廃寺)、有鹿明神などを測量して大山街道に出たと記録。渡辺崋山もこの道を歩んだと推測される。
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20.厚木の渡船場
写真 海老名・河原口と厚木・山王町の間の渡船場跡。船数艘が往復、料金一人10〜12文。徳川家康もこの渡船場を渡った。
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21.お銀の家跡
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21.お銀の墓
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21.渡辺崋山とお銀
写真 天保2年(1831)渡辺崋山は弟子の高木梧庵を伴って、江戸から大山道を下り、この古道から小園道に入り、少年時代に世話になった「あこがれのお銀さま」を訪ねた。この約20年ぶりの再会の様子は彼の「游相日記」の中に詳しく述べられており、ふたりの会話やその墨絵は興味深い。お銀は天明4〜5年(1784〜5)頃、この近くの早川村・佐藤幾右エ門の長女として生まれ生来稀な美女で、幼名は「まち」。長じて江戸に出て田原藩三宅備前守康友に仕え、友信を生む。実母死去の報で、宿下がりをして、後に小園村の大川清造に嫁ぎ、文久2年(1862)8月25日没。大川家の墓地に眠る。
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