川崎国道事務所・環境と人にやさしい「道」づくり
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荏田から長津田まで 大山街道 見どころマップ
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赤坂〜三軒茶屋 1A 1B 二子玉川〜荏田 3A 3B 長津田〜鶴間 5A 5B 厚木〜愛甲 7A 7B
三軒茶屋〜二子玉川 2A 2B 荏田〜長津田 4A 4B 鶴間〜厚木 6A 6B 愛甲〜大山 8A 8B
※地図上のポイント・宿名・イベント名等をクリックすると解説をご覧になれます
地図
荏田から長津田まで
 川崎市宮前区有馬を過ぎると、尾根道の入口から横浜市域となります。尾根の最頂部からは富士山や大山を含む丹沢山塊が一望でき、「立場茶屋」がありました。尾根道を下り、早淵川を渡ると荏田宿となります。
 横浜市域の大山道には荏田宿と、更に2里の距離をおいて長津田宿との二つの宿場が置かれ、それぞれに問屋の他に旅篭屋や商家が並び、馬継場の機能を有していました。道中の道幅は市が尾村付近で8〜9尺、(2.5m程度)とされ、川間橋(三文橋)で鶴見川(谷本川)を渡り、景色の良い現在の柿の木台に茶店が二軒、また恩田川の手前にも茶屋があったことが知られています。
 また、現在の藤が丘駅や青葉台駅周辺の賑わいからは想像も出来ませんが、藤が丘附近からしらとり台附近の間は「谷本原」と呼ばれる寂しい林の中の山道で、昼間から追いはぎが出没したとも伝えられています。
 恩田川を渡り、長津田宿を過ぎると、大山道は曲折しながら丹沢山塊や町田市を一望できる「馬の背」を過ぎ、やがて東京都町田市鶴間となります。


荏田宿
江戸から七里(有馬から一里)、長津田宿へ二里、附近の道幅は三間、下宿・中宿・上宿に分かれる。江戸初期から長津田と共に、指定された宿駅として栄え、道の両側に三軒の旅篭と商店の二十七軒が軒を連ねていた。天保二年(一八三一)渡辺崋山は旅篭・枡屋に宿泊していた様子を記すが(「游相日記」)、宿場は明治二十七年の大火で壊滅的な打撃を受け、今では住宅地に。
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1.不動の滝・老馬鍛冶山不動堂
写真 木立のなか、滝不動の足元から霊泉の滝が流落ち、祈雨また喘息・風邪に霊験とされ汲む人も多い。滝の上には老馬不動堂。
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2.番小屋跡・大橋跡
文久2年(1862)生麦事件を契機に設置。
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3.荏田下宿庚申塔
写真 寛政5年(1793)に建立、供物は草履5足、草鞋1足、千羽鶴3束、今も健脚を祈願する。
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4.養老山真福寺
写真 真言宗豊山派。本尊・十一面千手観音菩薩(平安期・県重文)。小机領観音霊場二十番。大正10年現在地の観音堂に併せられた。また旧地にあった釈迦堂本尊・釈迦像は鎌倉期の国指定重文で収蔵庫に。絵馬200点余も保存。
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5.中宿秋葉講常夜燈
写真 横浜市文化財。中宿小泉廷内にあり、文政4年(1821)の大火後の文久元年(1861)防火祈願に建立、世話人衆の名が刻まれている。
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6.市ヶ尾横穴古墳群(市ヶ尾遺跡公園)
神奈川県指定史跡。昭和8年開墾中に発見。同31年より調査。A群(7C頃)×12・B群(6C末頃)×7の計19基(他に離れてC×1基・小学校の敷地に)。
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7.市ヶ尾竹下地蔵堂
写真 本尊・延命地蔵尊(木造・酉年開帳、都筑・橘樹酉歳地蔵2番礼所)。江戸中期頃の建立。毎年11月30日江戸中期からの念仏行「お十夜」(市無形文化財)を行う(本尊開帳も)。統誉上人(宝暦元・1751年墓碑銘)即身仏の伝承がある。
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8.旅篭・綿屋
写真 旧大山道(猿田坂下)と日野往還道の交差点地点に在り、明治15年頃の建築、二階が客室。客を綿のように暖かくの意で、明治末迄営業。斜め前の角に茶や県旅篭石橋屋及び小石橋屋(共に明治15年焼失)も在った。
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9.川間橋(三文橋)
鶴見川に架かる長さ10間(18m)・幅8尺(2.4m)。利用者より3文(1文は約25円)の渡り賃(橋銭)をとったことから「三文橋」とも。現在よりやや下流にあり、北斎の浮世絵・大山道にも描かれ、渡辺崋山の「游相日記」にも。
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10.大難の辻
急な坂道で雨の難所からの地名。大雨が降ると現・医薬神社方面から土砂崩れが起こり、現・NTTの周辺の田畑も土砂に埋没した。
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11.田中屋
写真 三代将軍・徳川家光を治療したと伝えるマムシ治療薬を販売。
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12.一里榎
写真 一里毎に置かれた道標、樹齢600年、横浜市指定銘木古木、幹の空洞は明治3年の火災に。昭和47年区画整理にて現在地に移植。
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13.医薬神社
写真 医王山薬王院東光寺(真言宗)が明治初年改宗。境内の双体道祖神等石造物は区画整理後移設。
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荏田城址
小机城の防衛に鎌倉道や矢倉沢往還の抑えとして小田原北條氏の支城とされる。また、城の東麓は小黒谷と呼ばれ、江田源三が義経から拝領した名馬・小黒に因む伝説を伝えるが、土が黒いための地名とも。
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長者原遺跡(武蔵国都筑郡衙跡)
大化改新(645)に武蔵国とし、大宝元・701年律令・国郡里制にて武蔵国都筑郡とされたとされる郡衙跡。江田猿田公園に説明板がある。
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猿田坂
現在地蔵堂にある庚申塔等が所在していたために名付けられ、猿は去るに通じるとし、嫁入行列はこの坂の通行を避けたとされる。
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稲荷前古墳群(稲荷前古墳公園)
神奈川県指定史跡。昭和42・44年発掘調査。前方後円墳2基、前方後方墳1基、円墳4基、方墳3基及びA・B・C群計9基の横穴墳からなり、5世紀前後から7世紀代を通じ営まれたとされ、古墳の博物館と称された。3基が保存、その内前方後方墳は横浜市域で最も古い時代の古墳。
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朝光寺原遺跡
朝光寺式土器、武具が出土。
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