川崎国道事務所・環境と人にやさしい「道」づくり
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赤坂御門から三軒茶屋まで 大山街道 見どころマップ
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赤坂〜三軒茶屋 1A 1B 二子玉川〜荏田 3A 3B 長津田〜鶴間 5A 5B 厚木〜愛甲 7A 7B
三軒茶屋〜二子玉川 2A 2B 荏田〜長津田 4A 4B 鶴間〜厚木 6A 6B 愛甲〜大山 8A 8B
※地図上のポイント・宿名・イベント名等をクリックすると解説をご覧になれます
赤坂御門から三軒茶屋まで
 赤坂御門は、寛永13年(1636)に筑前福岡藩主黒田忠之により桝形石垣が造られた後、道16年に御門普請奉行の加藤正道、小川安則によって完成された門です。
 大山街道の起点はこの赤坂御門とする説が有力です。現在はその跡を残すのみとなりましたが、江戸時代の大山詣りには欠かせない重要な出発地点でした。
 赤坂御門を出発して青山を過ぎると、渋谷の宮益坂に差し掛かります。往時の宮益坂は富士見坂と呼ばれ、その名のとおり富士山を眺めることができました。頂上付近の見晴らしのよいところには、牛や馬をつなぎ、一休みできる「立場茶屋」があったとされています。
 宮益坂、そして道玄坂を過ぎると、相州街道中の四十八坂のうちでも大きな坂である「大坂」があります。この大坂から北へ行くと甲州街道に出ることができました。大坂を下り少し行くと、道標(現在は氷川神社の境内に移されています)があり、かつては交通の要衝として栄えた場所で、道標には「大山道、右めぐろ・品川、左青山」などと彫示されています。
 赤坂御門から三軒茶屋までに残る多くの「坂」の名。道往く人々の苦労が偲ばれる起伏に富んだルートです。


1.赤坂御門跡
写真 江戸城外堀にあった郭門の一つ赤坂御門があった所、寛永13年(1636)筑前福岡藩主黒田忠之により石垣が築かれ、常時3人の見張番がいて「赤坂見附」とも呼ばれていた。相模へ向かう大山街道の起点。
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2.弁慶橋
写真 ここの堀は江戸開府の頃、弁慶小左右衛門と云う者が設計、以後弁慶堀と呼ばれ、明治22年(1889)新たに橋が架けられた時、堀の名前に因み、「弁慶橋」と命名されたと云う一説がある。現在の橋は昭和60年(1985)に作られたもの。
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3.豊川稲荷
写真 江戸町奉行として有名であった大岡越前守忠相の子、忠宣が赤坂の屋敷内に豊川稲荷を祀ったのが始まり。明治20年(1887)現在地に移転した。豊川稲荷は本来は佛閣、正式には「豊川荼枳尼天堂」。
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4.高橋是清翁記念公園
写真 高橋是清は安政元年(1854)、江戸の芝に生まれ、後に日銀総裁、大蔵大臣、総理大臣等の要職を歴任した。昭和11年(1936)所謂、226事件で自宅にて暗殺された。享年83歳。その屋敷地が昭和13年遺族より東京都に寄付され記念公園となる。
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5.明治神宮外苑
写真 明治19年、陸軍青山練兵場として利用された所。大正4年(1915)以後10年がかりで洋式庭園として整備、大正15年には聖徳記念絵画館が完成した。青山通りからのイチョウ並木は四季を通じて美しい風景。
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6.梅窓院
写真 「青山」の地名は江戸時代のはじめ、徳川家家臣、美濃郡上八幡の青山氏が、この辺り一帯を配領したことによるとも云われ、領主青山幸成の法号に因み「梅窓院」の名前がついた。境内には12代にわたる当主の墓石の他、明治時代の煙草会社岩谷商会の創始者、岩谷松平の特大の墓石が建っている。
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7.善光寺
写真 徳川家康の帰依により慶弔16年(1611)に谷中に堂宇を建立し、長野善光寺の一光三尊阿弥陀如来の分身を祀ったのを初めとする。以後信州善光寺大本願上人兼帯所と称した。元禄16年(1703)類焼により、現在地に移転した。
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8.明治神宮表参道
写真 大正9年(1920)代々木に明治神宮が創建されたが、その翌年大正10年、ここ青山通りから神宮橋まで表参道として約1kmの歩道、ケヤキ並木がパリのシャンゼリゼ通りを模して誕生した。
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