昭和20年代
戦災復興期の応急整備から不燃化へ
戦後経済の混乱が続く中で、昭和24年、関東地方建設局に営繕部が設置されましたが、建築資材の窮乏などから官舎の不燃化は思うにまかせませんでした。昭和25年には、官庁施設は不燃構造とすべきことが定められ、その後の官庁営繕の方向が示されました。 25年代後半は、警察予備隊関連施設と日米安保条約の発効に伴う駐留軍関連施設の整備を多くてがけました。
昭和30年代
一団地の官公庁施設の整備
官公庁施設を同一地域に集中配置することにより公衆の利便と公務の能率向上、土地の高度利用等を図りながら、その都市の行政拠点となる地区を形成しようとするものです。また、昭和36年からは、東京オリンピックに向けた関連事業が開始されました
昭和40年代
まちづくりと合同庁舎化の進展
従来の国の庁舎は1官署1庁舎の概念が強く、省庁ごとの計画に基づく分散配置であったものを、特に支障がない限りは、複数の省庁に属する機関の集約・立体化を図った合同庁舎の整備を推進しました。昭和44年には、「筑波研究学園都市」の整備に着手し、国の最先端の研究施設の初期の工事を関東地方整備局が担当しました。
昭和50年代
人間性重視の施設整備・保全の重要性
オイルショックを経て、日本経済が安定成長期に入り、社会ニーズも教育文化、医療、社会福祉の充実や科学技術の研究開発に関連するものが目立つようになる一方で、官庁施設の整備も順調に進んで、管内の不燃化がほぼ達成されました。こうした施設の充実に伴い、保全の重要性が認識され始め「国家機関の建築物の保全に関する技術的基準の実施について」が通達され、積極的に保全を推進していくことになりました。
昭和60年代~平成
官庁施設の計画的整備と保全の現況把握
社会情勢や都市環境の変化に伴い、施設整備をより一層計画的に実施するために、長期営繕計画「官庁施設整備10箇年計画」を基本として、各省庁ならびに地方公共団体等と連携を図りながら整備が進められました。 また、保全の現況を把握するため、昭和62年度より官庁施設の「保全実態調査」が開始されました。
平成10年代
高度化・多様化期の官庁営繕とストックの有効活用
都市化の進展、情報化社会、高齢化社会へと進む中で、社会生活基盤として重要な役割を担う国の行政施設、教育・文化施設、医療・社会福祉施設等のより一層の充実が求められるとともに、施設の再配置、環境負荷低減対策への対応等が課題となってきました。また、「官庁施設のストックの有効活用のための保全指導のあり方について」の審議会答申により保全指導の充実が必要となりました。