千葉古街道TOPへ
千葉古街道歴史散歩
歴史 史跡 名店
歴史
 成田街道の由来は佐倉道である。佐倉道は房総最大の佐倉藩や多古藩、小見川藩の北総の諸藩の参勤交代に利用された公用の道だったが、成田街道の隆盛にともない「成田道」「成田街道」と人々に呼ばれるようになっていったと云われる。
しかし、成田街道(佐倉道)という名称を冠した街道でありながら、目的地まで統一した管理下に置かれたわけではなく、新宿〜八幡宿までが道中奉行支配下、大和田宿・臼井宿・酒々井宿・寺台宿が佐倉藩領という奇妙な街道であった。

  成田山への信仰は元禄の頃から盛んになってくる。町民文化の華が咲き、太平の世を迎えたこの時代、町民に財力がつき、信仰と行楽を兼ねた旅行ブームが興る。江戸から成田までは三泊四日と、最も手軽な旅程であったためか、幕末には、年間200万人が参詣に訪れていたそうだ。また、子供に恵まれなかった初代市川団十郎が、熱心に信仰を示したことなども、成田参詣がいっそう盛んになった理由の一つともいわれている。子供に恵まれなかった人気役者市川団十郎が成田山を信仰し、その信仰により男子を得たことが、庶民の目を成田山にむけさせることになったのだろう。

 

=参考文献=
山本光世著「房総の道 成田街道」聚海書林
「房総路・古街道を往く」千葉県広報協会発行
さいとう・はるき著「房総の歴史街道絵本」崙書房